たまにはつれづれ書いてみる。
特にどぎつい主張や熱意はありません。
政治、宗教、野球の話は気軽にしてはならないと言うけど、
エンゼルスの大谷くんの話ならオッケー☆
ローマ法王やダライラマならニュースにしてもオッケー☆
じゃあ政治はどうかな。
私はあまり政治の話が好きではなくて、
そもそもイマドキの若者なので(イマドキの若者に怒られそう)政治だけが世界を変えられる装置とは思っていなくて、期待はしてなくて、
なんなら天邪鬼なのでヒラリーvsトランプのときも、トランプさんが勝つほうが番狂わせで面白いなあとぼんやり思っていたくらい。
政治家の好き嫌いもあるけど、それはもはやその政治家自身の賢さや要領の良さ、人間性や見た目による判断であって、政治家の良し悪しは何で判断できるのかと疑問に思う。
(政治家の良し悪しを計測する尺度があったらいいのに。経営者の革新性を測る尺度や組織風土を測る尺度が作れるのであれば、政治にも援用できる気がするけど。そもそも政治家の基本となる尺度を作った瞬間に思想や好みが混在するから無理なのかそうなのか。)
「アベ政治は許さない」って書いたプラカードを持っている人をテレビでも現実でもよく見かける。
この前知人の話を聞いていた時に、ナルホド!と思ったのが、
- 原発や自衛隊への反対意識
- 自分の生活が苦しい話
- 一人の人間が長期間首相を担うことが危険であるという考え
- 自民党への不信感(じゃあどこならいいのか)
これらが全部「アベ政治は許さない」に収斂されるというお話。
これを天辺に掲げておくことで、その場にいる人間の個別の不満がそこに帰結されて、みんなで頷くことができる。らしい。知らんけど。
なるほどなぁって感じ。
もともと暗い話というのは共通項になりやすい。好きなものが同じよりも嫌いなものが同じであるほうが、ある意味において重要。
でも裏を返せば、みんなてんでバラバラの話をしているので空中分解以前の状況になっているということでもあって。それって不毛な気がするけど。
村上龍の『愛と幻想のファシズム』っていう本がありまして、あらすじはこんな感じ。
激動する1990年、世界経済は恐慌へ突入。日本は未曽有の危機を迎えた。サバイバリスト鈴原冬二をカリスマとする政治結社「狩猟社」のもとには、日本を代表する学者、官僚、そしてテロリストが結集。人々は彼らをファシストと呼んだが……。これはかつてない規模で描かれた衝撃の政治経済小説である。
世界経済が恐慌へ突入した結果、国家権力が全体的に弱まり、国家というのはただの分類のひとつになる。
そして台頭するのが世界的企業で、いくつかの世界的企業(例えばマクドナルドやコカ・コーラでも何でも良い)が世界を運用している状態である。
そこに彗星のごとく現れたテロリストの主人公。(作者がそれを意図しているのかはわからないが、オウム真理教やヒトラーを想起させる。)
さて、世界はどこへ向かっていくのか。
・・・というお話。
「アベ政治は許さない」ってプラカードを掲げるよりも、こういうコスモポリタニズム的なお話を空想するほうが楽しい気がするな。