2月で閉館してしまうので急がねばと思い、
FMOCA フォーエバー現代美術館(https://fmoca.jp/)へ行ってきました。
花見小路のどん付き、建仁寺の北側・祇園甲部歌舞練場の東側、アクセス楽勝。
オープン当初も賑わっていたようであるし、入り口にはチケットを買わなくても写真映えしそうなかぼちゃもあるのになあ。閉館かぁ。
撮影可能だった部分の写真と、なんで閉館するのかなあって勝手に考えたのを最後につらつら書きたいと思います。
こんな感じで入口にどどーんとかぼちゃが鎮座している。
直島のかぼちゃみたいに中に入ったり触ったりはできないみたい。
チケットを買って入館。
もともとは町家よりも大きいけど町家っぽい作りの建物(集会場とか?)で、赤い絨毯と畳、それから加湿器と送風機が印象的。和風な空間の中に飾られている草間彌生、めちょ素敵ではあるが、作品の維持保管が大変そう。
お庭が併設していて、お庭に出たり、お庭を眺めながら座禅をするスペースもあった。
通路には手作り感あふれる可愛い装飾。
写真を撮って良い作品は限られていたけど、かぼちゃばかりを展示してある部屋、花ばかりを展示してある部屋といった具合にキュレーションされていた。
花に限って言えば、1980〜2000初頭までは主線がそれなりにはっきりしていて、曲線であったとしてもなんとなく法則が感じられるような線になっていた。でも2000年半ばからその線がさらにドロドロぐねぐねと曲がりだして、すごくこっちに迫ってくるような感じになっていた。
あと、作品全体を通して言えば、1990〜2000年半ばまでラメを用いるのにハマっていたようで、ラメラメのかぼちゃやヒールが描かれていて可愛かった。このラメラメの作品をグッズにしてほしいな〜。
なんで閉館してしまうんかなあ。
施設の老朽化とかそういう問題ではなく、客の入りが少ないとかコンテンツ力の問題だったとした場合の見解を少し。
自分は今まで草間彌生を見たのは、長野県の美術館(草間彌生の出身地のため結構力が入った常設の展示がある)、それから大阪で開催されていた『永遠の永遠の永遠』展。
長野県のほうは小さいながらも趣向を凝らした美術館で、外においてある自動販売機(よくある赤いやつ)も赤白の水玉模様になっていた。彼女の生い立ちと彼女への敬意みたいなものが感じられた。
『永遠の〜』の方は、「サブカル野郎め、彌生ちゃん生半可な気持ちでアートやっとるわけちゃうねんぞ、ナメんなよっっ」って感じですごくよかった。終わってから彼女の詩集を探し回って買ったくらい。
水玉はkawaiiとかそんなんじゃなくて、幼少期から見えていた幻覚を描く、ある種の彼女にとってのセラピーであり抵抗であったこと。今も病院にいながら、多くの人から心身のサポートを受けながら芸術活動に励んでいること。「ああ、私ってなんて天才なんだろう」とつぶやきながら制作する姿がムービーにおさめられていて、こうやって文字に起こすと不遜な人のように思うけど、彼女はそんなではなくて、生きるための活動のひとつとして命がけで制作をしているということが、すごく伝わってくるムービー。
さて、ではフォーエバー美術館はどうだったか。
残念ながら、解説は少なく、作成年とタイトルのみ。展示も部屋ごとに「第1展示室」「第2展示室」…といった具合に規則的にふられた名前のみ。展示の順番も、厳格に年代別に配置されるわけでもない。期間限定の展示は、2010年頃に浮世絵師とコラボして描いた富士山の絵画10点ほど。
別に、さらっと見るだけならこれでもいいけど、じっくり見たい人にとっては少し物足りない可能性があるかもしれない。庭に面した渡り廊下に、「ZAZEN space」って看板を出して、英語で座禅のやり方を解説するよりも先に解説すべきものがあったかもしれない。
草間彌生はいまや、世界でも有数の”稼ぐ”アーティストである。
2017年にオークションで最も高額で取引されたアーティスト100人のうち、女性はわずか13人だった。女性トップは草間弥生氏(89)で、全体で13位。昨年の取引額は6560万ドル(約71億8000万円)に上った。草間氏は、上位50人で唯一存命のアーティストだった。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44276716
以上を加味すると、(アートは金額で判断するものではないとはいえ)彼女の作品を実際に見たい、深く知りたいという人が多くいることは自明である。
あるいは、インスタ映えのついでに来た人に、どうしたって惹かれてしまう作品をみつけるきっかけを提供する工夫ができたかもしれない。
何にせよもう終わりかけていることで、正解も不正解もないのだが、どうしたってもっと草間彌生を届けられなかったのかと不思議に思う。でも別にこの場所がなくなったとて、直島にいけばかぼちゃがあって、世界中のいたるところに草間彌生の作品があるのだから、こうも深く考える必要はないのかもしれない。