山種美術館で現在開催されている、『桜 さくら SAKURA 2018 ―美術館でお花見!』へ行ってきました。

日本の春を象徴する桜。このたび、山種コレクションの中から、桜が描かれた作品を厳選し、一堂に公開する展覧会を6年ぶりに開催いたします。

爛漫と咲き誇り、やがて散りゆく桜の美しさは、古くから詩歌に詠まれ、調度や衣装などの文様に表されるとともに、絵画にも盛んに描かれてきました。桜を愛でる人々を描いた物語絵や風俗画から、奈良の吉野など、桜の名所を舞台とした名所絵や風景画、そして花が主役となる花鳥画や花卉画(かきが)まで、さまざまなジャンルで絵画化され、時代とともに多彩な表現が展開しています。

[企画展] 桜 さくら SAKURA 2018 ―美術館でお花見!― – 山種美術館

山種美術館は日本画を扱う美術館とのことで、本企画展でも千住博や東山魁夷らが描いた桜の絵画が展示されています。

今回の私の目的は、祖父が好きだった絵画のホンモノをみることでした。

祖父について少し話をします。

祖父は絵画を集めて、季節に合わせて飾ることが趣味でした。絵画といってもホンモノではなくて、シルクスクリーンのものでした。(私は絵画について詳しくないのですが、シルクスクリーンという技法で枚数を限って複写して販売しているもののことです。)

祖父の家にはよく友人がコーヒーを飲みに来ていて、客間の壁には常に3つほど絵画が飾ってありました。その飾ってある絵画を季節に合わせて変えていました。

祖父が体調を悪くしてからは額に入った重い絵画を運ぶことが能わず、数ヶ月に1度ほど祖父のもとを訪れるたびに、祖父の指示のもと、絵を変えていました。

「あの、野菜の入ったカゴの静物画。」

「珠子さんの赤富士。」

「ベネチアをモチーフにしたパステルカラーの絵画。」

などと曖昧なヒントを頼りに絵画を探す仕事は、骨が折れるけど楽しいものでした。

(ほかの家族は祖父の介護で手一杯だったと思います。)

数ある絵画の中でも、祖父が好きだったものは、奥村土牛の『醍醐』という作品です。

どれくらい好きだったかと言うと、京都・醍醐寺のしだれ桜を描いた作品である本作のモデルをみるために現地へ行ったくらいです。

現地へ行ったものの、「これかも・・?」「でもあの木も似ているかも?」と言った具合にドンピシャの桜の木を探すことはできませんでした。*1

(でも、その過程がいまこうして思い出になっているので、それでよかったのかもしれません。)

醍醐寺訪問から10年以上経った天気の良い5月、祖父は他界しました。

最後に会ったのは3月だったので、客間に飾られている絵画は5月に不似合いな冬の絵でした。

5月にぴったりの絵画に変えようにも、祖父に尋ねることは能わず、思わず奥村土牛の『醍醐』を飾りました。5月に桜なんて酔狂。

(それから、祖父が大事に保管していたワインも丸々1本あけてしまいました。献盃!)

祖父の話はこれで終わりです。

こういうお話があって、ふと気づけばホンモノの『醍醐』をみられる機会があったので足を伸ばしました。

美術館に向かう理由が、「故人が好きだった絵画があるから」って悪くないものですね。

長くなったので、『醍醐』と対面した話は次に続きます。

*1:山種美術館の作品解説によるとモデルとなった木は確かにあるもよう。

[作品解説]
《醍醐》は京都・醍醐寺のしだれ桜を描いた作品で、作者奥村土牛の代表作の一つである。この作品の制作にかかる約10年前の昭和38(1963)年、師の小林古径の7回忌の法要が奈良・薬師寺で営まれた帰路に土牛は醍醐寺三宝院に立ち寄った。この時土牛は「三宝院前の土塀のしだれ桜に極美を感じ写生をし、何時か制作したい」と考えるようになったという。この時土牛は2,3日通い、土塀前の満開の桜を夕暮れまで写生したという。この桜を描きたいという思いはしばらくかなわなかったが、10年を経た昭和47(1972)年に「今年こそと思って」桜の咲く時期を待ち再び同寺を訪れ、本作を制作している。




関連記事

Previous post 爪先に色がのっていること(マニキュア)の効能について
Next post 【山種美術館訪問】その2 祖父が好きだった絵画をみるために弟と美術展へ行った話
メニュー